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長野地方裁判所岩村田支部 昭和35年(ワ)5号 判決

原告 岡部春雄

被告 青木薫

主文

原告と被告との間において別紙物件目録〈省略〉記載の農地につき長野地方裁判所岩村田支部昭和二十七年(セ)第二号農地返還等調停事件として昭和二十八年十二月十日成立した調停調書のうち別紙調停条項記載の第二項が無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、被告は昭和二十七年四月十九日原告を相手方として長野地方裁判所岩村田支部に対し原告が賃借中の別紙物件目録記載の農地につきその返還等を求める旨の調停を申立て、同裁判所昭和二十七年(セ)第二号農地返還等調停事件として数回に亘る調停委員会が開かれた結果昭和二十八年十二月十日別紙調停条項記載内容の調停調書が成立した。

しかしながら、右調停条項第二項は原告においてその合意をしたことにつき要素の錯誤があるから無効である。すなわち、被告より本件農地の返還を求められた原告はこれに応ずべき理由がなかつたので、被告と交渉の末引続き今後十年間右農地を賃貸借する旨の合意が整い、これを文書化する方法として前記調停調書を成立させたわけであるが、右調停の成立に当り原告は右のように調停により農地の賃貸借契約を結ぶについてはその賃貸借期間を定め、右期間満了とともに農地を賃貸人に返還すべき旨約定してもそれは調停により賃貸借契約を結ぶための手続上の形式にすぎず、特段の事情がない限り右期間が経過しても賃貸借契約は当然更新されるべきものと考え、前記調停条項第二項のような期間満了後の明渡に関する約定に同意したものであつて、これがもしそうではなく、賃貸借期間満了と同時に賃貸借契約は当然終了し、直ちに右農地を賃貸人たる被告に返還すべき内容を持つものであるならば原告としては到底そのような調停に応ずべくもなかつたもので、この点原告には右合意をしたことにつきその要素に錯誤があつたものであるから、右明渡を約した前記調停条項第二項は無効であるというべきである。

仮に右主張が理由がないとしても、前記調停条項によつても明らかなように、原告は被告より賃借中の本件農地につき賃貸借契約を一旦解約したうえあらためて右調停により賃貸借契約を結んだのではなく、期間の定めのなかつた従前の賃貸借契約を確認し、その期間を調停成立の月より向う十箇年とすることなどを取極めたものにすぎないのであつて(従前の賃貸借契約を解約し、その返還の猶予期間を十箇年と定めた趣旨でないことももちろんである。)、このようにたとい調停によるとしても、農地につき一定の期間を定めて賃貸借契約を結んだ場合にはその期間が満了しても賃貸人としては正当の事由があつて、しかも県知事の許可を得たうえでなければ右賃貸借契約の更新を拒みえないものであることは農地法第二十条により明らかなところであつて、原、被告間において前記調停条項第二項のように十年の賃貸借期間満了とともに当然右賃貸借は終了し、直ちに本件農地を返還すべき旨の合意をしても、このような合意を内容とする前記調停条項第二項は前記法条に背き当然無効のものといわなければならない、と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、との判決を求め、答弁として、原告の主張事実のうち、被告が原告を相手方として本件農地につき原告主張の日、その主張のような調停の申立をし、原告主張の日、その主張のような条項による調停調書が成立したことは認めるが、その余の点はすべて争う、と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が原告を相手方として本件農地につき原告主張の日、その主張のような調停の申立をし、原告主張の日、その主張のような条項による調停調書が成立したことは当事者間に争いがない。

原告は、右調停条項のうち本件農地の明渡を約した第二項は、調停により農地の賃貸借契約を結ぶにつきその賃貸借期間を定めるとともに右期間満了により賃借農地を賃貸人に返還すべき旨定めてもそれは単なる手続上の形式にとどまり、特段の事情がない限り賃貸借期間が経過しても賃貸借契約は当然更新されるべきものと考え、これに同意したものであつて、これがそうではないとすれば、原告の右同意についてはその要素に錯誤があり、したがつて、右調停条項第二項は無効である旨主張するが、証人馬場三次郎、同依田進、同小林倉輔、同荻原保吉の各証言並に被告青木薫の本人尋問の結果によれば、右調停に当り被告が本件農地の即時返還を求めたのに反し原告がこれに応じないので数次に亘る調停が試みられ、被告は向う二、三年間、更には向う五年間本件農地の使用を許す旨譲歩したが、なおも原告が応じないため、更に調停が重ねられた結果別紙調停条項第一項のとおり右調停成立の月より向う十年間被告は本件農地を原告に使用させることとし、右約定期間の満了とともに原告は本件農地を無条件に被告に返還すべき旨約したものであることが認められ、そこに何ら原告主張の如き錯誤のあることは認められず、この点に関する証人高見沢義人、同羽毛田正直の各証言に原告岡部春雄の供述は前掲各証拠と対比した易く信を措くことができないから、原告の右主張は結局採用の限りでない。

次に、原告は、前記調停条項第二項は農地法第二十条に違反し無効である旨主張するので考えてみるのに、前顕各証拠並に成立に争いのない甲第一号証及び前記調停条項のうち、被告は原告に対し本件農地を昭和二十八年十二月より向う十年間従前どおり賃貸する旨、賃料は昭和二十八年度分より一箇年金八百十一円十二銭とする旨、原告は被告に対し昭和二十七年度までの延滞賃料として金二千二百六十三円三十六銭を昭和二十八年十二月二十五日までに支払う旨の各記載を綜合すると、被告は数十年前より原告の先代、次いで原告に対し本件農地を賃貸して来たが、昭和二十年頃より賃料の支払が滞りがちになつたので、原告に対し前示のとおり右農地の即時返還及び延滞賃料の支払並に賃料の値上を求める旨の調停を申立て、さきに認定したような経過により、調停成立の月より向う十年間被告は原告に本件農地を引続き賃貸すること、調停成立の年より賃料を年額金八百十一円十二銭に増額することなどを主たる内容とする本件調停調書が成立するにいたつたものであることが認められ、右認定の事実によれば原、被告は結局右調停により従来からの賃貸借を一旦解約することなく、ただ従前の賃貸借には期間の定めがなかつたのでこれを調停成立の月より向う十箇年と定め、引続き本件農地を賃貸借する旨約定したものということができる。(従来の賃貸借を一旦合意解約し、右農地返還の猶予期間を十年と定めた趣旨のものでないことはいうまでもない。)。

ただ右調停調書第二項によれば前記十年の賃貸借期間満了とともに原告は無条件に本件農地を被告に返還すべき旨約定されているので、右約定が果して有効であるかどうかを考えてみるのに、元来期間の定めのある農地の賃貸借については賃貸人においてその期間満了の一年前から六箇月前までの間に賃借人に対しいわゆる更新拒絶の通知をしないときは従前の賃貸借と同一の条件で更に賃貸借したものとみなされ、また、右更新拒絶をするについてはいわゆる正当な事由があり、かつ、都道府県知事の許可を得なければならないことは農地法第十九条、第二十条により明らかなところであつて、これと異る約定は右各法条の強行法規性に鑑み到底許容されないものというべく、本件のように民事調停法による農事調停によつて期間を十年とする賃貸借が定められたような場合にもその期間の比較的長期に亘ること、小作農の安定を図ろうとする農地法の精神をも併せ考え、右の理は当然当てはまるものと解すべきであるから、(農事調停により農地の賃貸借を合意解約する場合のみ知事の許可を要せず無条件に農地の返還を求めることができるが、本件調停調書が合意解約を定めた趣旨のものでないことはすでにみたとおりであるから、本件の場合農地法第二十条第一項但書の適用がないことはいうまでもない。)原告が被告に対し十年の賃貸借期間の満了とともに本件農地を返還すべき旨約した前記調停条項第二項は当事者の意思にかかわりなく前記農地法規の法意に背く無効のものというべきであり、被告としては右期間の満了にさき立ち前記農地法の定める更新拒絶の手続をとることなく、右調停条項第二項に基き直ちに原告に対し本件農地の明渡を求めることは許されないものというほかはない

(もつとも、被告が原告に対し右更新拒絶の通知をするにつき知事の許可を求めた場合前示調停の経過はその許否を定めるにつき参酌されるべき事情たるを失わないであろう。)。

よつて、本件調停調書のうち前記調停条項第二項の無効確認を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを相当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村修三)

調停条項

一、申立人は相手方に対し南佐久郡栄村大字上字西の窪参百八拾七番田弐反拾八歩内畦畔参畝歩を昭和弐拾八年拾弐月より向う満拾カ年間従前通り賃貸する事但賃料は昭和弐拾八年度分より壱か年金八百拾壱円拾弐銭とする事を申立人並相手方は承認し相手方は右賃料を毎年拾弐月弐拾五日に金納する事

一、相手方は申立人に対し前項土地を前項期間満了と共に明渡す事

一、相手方は申立人に対し前第一項掲記田地の昭和弐拾七年度までの滞納賃料合計金弐千弐百六拾円参拾六銭を昭和弐拾八年拾弐月弐拾五日までに完納すること

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